Short Story

第1集(2002.6.14〜2002.7.31)
第2集、第3集(2002.8.1〜2002.9.30)
第 4集  (2002.10.2〜2002.10.31)
第5集 (2002.11.1〜2002.11.30)
第6集 (2002.12.1〜2002.12.16)
第7集 (2003.3.1 〜 2003.3.13)
第8集 (2003.3.18 〜 2003.7.4)
 第9集 (2003.7.20 〜 2003.9.13)

第10集 第11集 第12集 第13集 

第14集
 



No240

鳥の声




寒い窓辺で鳥達の声が聞こえる

寒いね
でも元気だよ
僕達、雪が降っても頑張っているよ
羽をね
いっぱいに膨らませているんだよ

チュン、チュン
何か食べるものはないかな

朝ご飯、探しに行こうっと チュン

逞しい命は
与えられた短き命を
懸命に生きる

生きることがすべて
大空を飛べることがすべて

小さき命の声

可愛い声が
窓辺から聞こえます

心和む時
ほのかなぬくもり聞こえます

2004.12.31



No239

野の花




12月の半ばだというのに
咲いていたんです
まるで貴方のようのです
ひとりでひっそりと逝ってしまった、貴方のようです。

私ね、胃癌なの
あとね、半年くらいなの
もっと、検査をよくしておけばよかったわ

明るく、友に語った貴方だったと
後になって聞きました。

若い時の病気と
年老いた両親と一緒に暮らすために
とうとう、独身を通されて
いつも笑顔の絶えなかった
貴方の顔がいまでも思い出されます。

陰になり日向になり
私を支えてくれてありがとう

貴方へのお便り
いくら書いても書きつくせません

天国への切手のないお便り
貴方の元へと届くでしょうか

野に咲く、このホトケノザの愛らしさ

たった一輪の花
まるで貴方のようです

ひっそりと
それでも強く
貴方なりの道をまっすぐに咲いて
散っていきました。

ホスピスの病室から見える
木の葉が嬉しいと、書かれた
最後のお便り

一緒に机を並べた
あのお勤めの頃の
貴方の笑顔、忘れることはありません。

2004.12.16



No238

シロちゃん




子供の頃ね
白い猫を飼っていたのよ
京子さんは、ため息交じりに話し始めた。

父の転勤でね
どうしても連れていけないっていわれてね

その頃は里親探しなんて
思いもよらないしね

最後の日にね
たくさんの、おご馳走をあげてね

泣く泣く倉庫に置いてきたの。。

だから
私はいまでも猫を飼うなら
シロちゃんって決めているの

迷子の子や、不幸な子たちを
ほっておけないのよ

あの時のシロちゃんの瞳が
やはり忘れられないのね

ミャァと言う声と一緒に入って来た
シロは、京子さんの座っている椅子に
すりすりを始めていた

ママぁ おご馳走ちょ-だいねぇ

まるでそう言うかのように。。

2004.12.15



No237

参観日


まだ学校へ上がる前の舞でした
母と一緒に写っている
一枚の写真

姉の参観日に行く途中の道で写してもらったもの

母は日傘をさして
私は母の手作りのワンピ−スを着ていた
はにかんで、母のスカ−トを持っている

その頃の舞はおとなしくて
駄々をこねることがなくて
どこへでも付いて行ったように記憶している

切り揃えられた
おかっぱ頭は前髪をたらして
いつも母を見上げていた

今でも舞は
前髪を上げたことがない

小さい頃に転んでついた傷も
かすかに残っている

色褪せた一枚の写真は

幼い頃の舞が笑っている

2004.12.7



No236

お見合い

このお金をまた送ってもらえませんか

今月もこんなにたくさん送金するのですか
食べていけるのですか

はい、僕ひとりくらいなんとでもなりますから

そうですか
親孝行ですね
毎月、遠い日本まで送るなんてね

ここは満州国、新京だった
冬は極寒の地だったけれど
多くの日本人は、豊かに暮らしていた。

あのね、Tさん
私の主人の妹に、ふじちゃんっていう子がいるのだけど
お見合いしてみませんか

えっ
あ、ありがとうございます

こうしてTさんは
ふじちゃん娶り
戦後ふたりの子供を抱いて
荒野を逃げるようにして
新京を後にすることとなるのでした。

ふたりの子供は
いまでも
残留孤児の方々が来日されると
なんとか肉親が見つかって欲しいと
いつも祈っている

それは
自分たちも
その中のひとりとしていたかもしれないと
いつも思うからでした。

2004.11.26



No235

もみじの頃




この前ね、義母にはがきを買って来てと頼まれたの

入院している、お義母さんに?

そうなの、義父にね
知らせるっていうの

ずいぶん昔に亡くなったのでしょ
お義父さん

うん
はがきはね
今 一銭五厘だから
お願いしますと言うの

ええええっ

それでね
病院のもみじが綺麗だから
昔ね
お義父さんと一緒に見た
あの 紅葉が忘れられません
と、書くと言うのよ

思い出があるのね
きっと、デ−トした時なのね

そうかもしれないわね

あっ
私の家に
古いはがきがあるかも知れないの
え-と
10円の頃かな
古いもので色も褪せているけれど
それのほうがいいかもしれないわね
明日 持ってくるわね

ありがと
うれしいわ
お願いね

2004.11.21



ヤブラン
No234





ヤブランが咲くと思い出す
祖父の好きだった、植物と聞いていた

ひっそりと木の下で
何も主張をせずに佇む

小柄な祖父の、どこにあんな力があったのだろうかと
思えるほどの大きなリュックを背負って
満州から引き揚げて来た

戦前送られてきた写真の中には
満州銀行の要職の方々との
華やかな、ひとときが伺える

戦後引き揚げてからは

このヤブランをどんな気持ちで見つめていたのでしょうか

あの混乱の中での引き揚げは
この黒い実のひとつ、ひとつの中に閉じ込めて
決して話すことはしませんでした。

多くの人が子供を置いてきました

祖父だけは
子供の手を握り締めたまま
離すことはありませんでした。

2004.11.20



No233


恵美ちゃん

恵美子ちゃんとは
小学校の時の
仲良しお友達でした

小学6年生の時
ふたりで行った神社のお参り
お正月でした。

恵美ちゃんは
晴れ着を着せてもらっていました。

私は母が着せてくれた
新しい洋服でした。

はにかんだような
ふたりの笑顔

おとなしい恵美ちゃんは
いつも長い髪をして
お下げにしていました。
高校も同じでした。

そして
長い年月が流れて
40代になったばかりの年
あっという間もなく
悪性の腫瘍で逝ってしまいました。

子供さんのことを心に残しながら。。

今も心に残る
私の知っている恵美ちゃんは
やっぱり
おさげ髪をしています

2004.11.13



郁子ちゃん

近所の郁子ちゃんには
ほんの少し知恵遅れがありました。

学校帰りには
いつも公園で、母と遊んでもらっていた
郁子ちゃんの姿が見えました

ある日
郁子ちゃんのお母さんが
舞に頼みました。

舞ちゃん
いくちゃんに数字を数えること
教えてやってくれる?

うん
いいよ

得意げに、いくちゃんの前で
いいち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ
指を折りながら
舞といくちゃんは遊んでいた

まだその頃には
受け入れをしてくれる学校もなく
毎日
母と暮らしていた、いくちゃん

いつしか年月は流れて
いくちゃんのお母さんが
逝ってしまうと
施設に入った、いくちゃんは
みるみる元気をなくしていったのだと

遠い風の便りに聞いた舞でした。

2004.10.19



No232



舞には7歳上の兄がいる

幼い頃、兄が山から採ってきてくれたもの
真っ赤に熟れたヤマモモの実だった

種が大きいから
食べるところは少ないけれど
それでも幼い舞にとっては
うれしくて、そっといつまでも大事に食べていた。

無口な優しい兄に、叱られた思い出はない

まだ小学校へ行く前だった。
いつまでも公園で遊んでいる舞を
捜しに来てくれて
手を繋いで家に帰ったあの日

道路はまだでこぼこ道
土の匂いがあったあの頃

海へ沈んでいく
赤い夕日を
幼い舞だったけれど
なぜか、忘れられない光景となっている。

2004.8.30



No232

お弁当箱

九州の小さな田舎町には
学校給食がなかった

母が毎朝作ってくれる
お弁当を持って
いつもの道を歩く

赤い小さなお弁当は
舞の宝物だった

おかずと思い出が一杯に詰まった
お弁当箱は

今も
舞のそばにある

こんなに小さかったのかなと
眺める時

教室や運動場が
思い出されて

心に懐かしい潮風が吹いて来る

2004.8.22



No231

シラミ

ふじ子は銭湯帰りに
思い出していた


こうしてお風呂に入れるなんて
有難い.....

満州での引揚途中
着たままの服は
雨に遭ってもそのままだから
やがて、服にシラミが湧いてくる
体中が痒い
退治するには脱いで
大鍋で煮沸するしかない

おんぶした
けい子のおしりをあやし
手を引いた、あき子の手をぎゅっと
握り締めて
ふじ子は思った

あの頃のことを思えば
どんなことにも耐えられると。

2004.8.16



No230

単身

新しい仕事を見つけたんだ
悪いが
子供たちを頼む
単身で東京へ行くよ

そうですか
はい
わかりました

一緒に暮らせるようになりましたら
行きますから

わかった
早く暮らせるように
死に物狂いで頑張るよ
待っててくれ

引き揚げてから
何度も職を替えてはいたが
食べることに精一杯だった

無邪気に笑う子供たちを
ふたりは
そっと見ていた

2004.8.11



No229

海水

あなた
あのぅ
お粥を炊くくらいのお米しかありません

おかずも
何もありません

そうか
仕方ないな
お粥を海水で炊こう

海へ行って海水を汲んでくるよ

はい
待っています

苦労をかけるな

いえ
生きて帰れただけ幸せでした

ふたりの子供も連れて帰りました

何の不足がありましょうに...

待っていますね

引揚者には世間の風は冷たい
21年12月のことだった。

2004.8.9



No228

引き揚げ

昭和21年、8月の始めだった
K駅に親子4人が降りた

満州から辿りつくのに
2ヶ月かかっていた

身なりは乞食かと見まがうほどだった

表情はなくなり
栄養失調で目だけは
異様に大きくなっていた

この町は戦災に遭っていない

すれ違う人々は好奇な眼差しで見て行った

とぼとぼと市役所筋の細い路地を歩いた
迷路のように入り組んだ細い道には
お寺が多く見られ
松の木は何事もなかったように
何本も聳えていた

それから月日は流れ
今はもう
区画整理事業で
お寺も松もなくなった

2004.8.7