徒然日記
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2021/09/18(土) 10:40:13
写真に魅せられて
息子が大学を終えて、初めてのボーナスで一眼レフデジカメをプレゼントしてくれました。
それがきっかけで、いろいろな写真を撮るようになりました。
それまでは、コンパクトデジカメでガ−デニングのお花や、近くの風景を撮ったりしていました。
写真を通じて友達の輪も広がり、それからは、倉敷や尾道の風景
花火や電車の流し撮りなど、写真の楽しさにすっかり魅了されることになりました。
平成26年からは、カメラ雑誌の月例写真コンテストに応募するようになり、
時々掲載されることが喜びとなりました。
アサヒカメラは、平成27年から応募を始めました。大正15年に創刊された
この雑誌は、今年7月で休刊されることになりました。
とても残念に思っています。
最後の7月号に掲載してもらる写真で、22回の当選となりました。
94年もの長い間続いた雑誌の休刊は本当に寂しいです。
写真は、心を写す〔写心〕だと思っています。
これからも、マイペ−スで心を込めた、写心を撮り続けたいと思っています。
2021/01/27(水) 11:08:38
ガル君の里親さんと連絡が取れました。。
あの子が、埼玉へ行って9年になります。
去年、お電話を頂いた時に腫瘍が出来ています。
でも、頑張ります。もっともっと長生きさせてやりたいです。もう少しだけでも。。。とおっしゃいました。
私は、正直びっくりしたのです。。
大型犬は、小型犬ほどは長生き出来ません。。
まだガル君は、可愛がって貰っていた。。そのことが驚きでした。
保護した時は、推定6歳といわれて、埼玉の獣医さんからは、6.7歳でしょうと言われたのでした。
昨日、涙声でお話された里親さんの言葉
本当に賢くて、可愛い子でした。
一度も困ったことがありませんでした。。。
どんな時でもおとなしく、従順で、声を発することがなかったのです。
生涯、たった二度だけ、私と主人が聞きました。
どうしても声が聞きたくて、畑に連れて行ったときに
隠れてみました。
その時に、初めて声を出しました。。逞しく可愛い声でした。
そして、どんなに体調が悪くなっても、いつものように歩いておしっこに出ました。
私は、介護することはありませんでした。
大型犬をシャンプ−してくれるところは、都内にしかありませんので
そこまで連れて行きました。
そうすると、そこのオ−ナ−さんが、ガル君の大ファンになってくれて
あまりの賢さと可愛さとで、毎年ガル君入りのカレンダ−を作ってくれました。
すべて保存してあります。。。
あの子にふれあいのあった人
すべての人が、なんて幸せな星の元に生まれてきたのでしょうか。。
ガル君と接していると、そう思えてなりません。
そう言ってくれました。
この子が捨てられた子なんて信じられません。。と。
最後には、御灸もしました。
気持ちよく、目を細めてしてもらうことが大好きでした。
いよいよ最後の時、腹水が溜まり、かかりつけの先生に連絡すると
スタッフの皆様まで駆けつけてくれて、綺麗に抜いてくれて
安らかに天国へ召されました。。
本当に可愛くて。。可愛くて。。。
あの子を我が家に託してくれてありがとうございました。。
あの子以上の子には、もう巡り会うことはないと思いますので
今後、新しい子の迎えはありません。。
今も、ガルのいたところは、そのままにしてあります
朝 ガル君 おはよう
夜 ガル君 おやすみ
そう言っています。。
ご連絡すれば、号泣してしまいそうで、お電話が出来ませんでした。。
ガル君を見て、ご近所の方が クロラブを家族にした方が多くいましてね
いまでも、お散歩で会うのですよ
そうおっしゃいました。
本当に幸せな子でした。。。。
この文章を書きながら、涙が止まりません。。
最後まで読んで下さりありがとうございました。。。
ガル君を保護した時、黒い瞳に涙がいっぱいでした。。。
幸せになりたい、そう訴えていた涙だったかもしれません。。。
小さな命は、天に召されて
ふれあいの会った人、みんなの心に生きて
微笑みをたくさんくれました
神様から貰った、命
精一杯に生きて
虹の掛け橋で遊んでいます。。
2021/01/27(水) 11:06:25
S新聞 10年6月5日掲載
゛飼い主いない、捨て犬不憫゛
(蘭の里親探しの為の投稿文です)
5月下旬のこと、商店街の大通りで、野良犬らしい
メス犬が、とぼとぼ歩いていました。
首輪もなく、足にも傷跡があります。あまりに不憫に
思いチ−ズを与えると、人なつこく温和な犬で、
疲れと安堵のためか、眠ってしまいました。
この犬は、動物病院の検診では、生後7ヶ月ぐらいの
雑種でした。 どうして、こんなおとなしい良い犬を
と思えるほど、賢く優しいのです。
O市内のペットショップで、毎日曜日里親捜しの、
コ−ナ−を提供していることを聞き、連れて行って
1日中待ちましたが、成犬でメスとなると、
難しいのです。
我が家でも2匹飼っていますが、「誰か良い人が見つかると、いいね」 と犬に話しかけ連れて帰りました。
捨て犬などで、県内の保健所で処分された犬は、
平成8年度で約9000匹にもなっています。
犬がほえ過ぎる、老犬になった、転居などの理由に
よって、多くの犬が住みなれた家に深い愛着を
持ちながら、保健所へ送られます。
最後まで、飼い主の迎えを待ちながら、3日間たつと
処分されます.....。
ある、保健所の係員の言葉です。
「涙をたたえた目で、主人の迎えを待つこの犬たちの顔 を、飼い主に見せてやりたい」 と....。
*************************
蘭との出会いです
保護した時には耳にダニがびっしりでした。。
その後、この新聞記事を見た方から里親の申し出を頂きました。
蘭は、里親さんへ引き取られましたが
一日で帰されました。飼っている猫がおびえてフ−ドを食べないという理由でした。
迎えに行って、車に乗せると
蘭が初めて ワンと吼えました。。
私と離れたことへの不満の声でした。
もう絶対に手放すのは止めよう。 我が家の子にしよう
そう誓いました。。。
その後、アカラスに感染していることもわかり
長い間、お薬も飲みました。
どんな時も、怒りという感情を一切持っていない蘭は、
本当に賢い子です。
ただ20キロあるので、お散歩は大変です 笑
畑には、いつも護衛で連れて行きます。
木陰でいつまでも待っていてくれます ♪
2021/01/13(水) 11:06:10
平成10年6月
クロラブが池のそばで、倒れている
という電話が入りました。
行って見ると、怪我をしていて、動くことのできない
クロラブ(成犬)がいました。
とにかく、病院へ連れて行きました。
交通事故?に遭い、足を脱臼していました。肺に水も溜まっています。ひどいことに、フィラリア感染していました。
骨折ならギブスですが、脱臼は、手術しなくてはなりません。
首輪もしていましたので、飼い主がみつかる
のではと、その時は思いました。
動物病院の先生のお話です。
診察しましたが、とにかく性格のよい子です。
脱臼とフィラリアの手術をしましょう....
こんなにおとなしい子は、ほとんどいません。
費用が気になりましたが、とにかくお願いしました。
まず、S新聞社へでかけていきました。
飼い主捜しと、里親捜し、そしてカンパのお願いでした。
新聞記者の方が、動物病院まで取材に行って下さり
写真入りで大きく記事になりました。
手術費用のカンパをお願いしていましたので、
見知らぬ方からの、カンパを頂くことができました。
封書で匿名の方もいました。
院長先生も、費用を半額にして下さいました。
飼い主からの申し出はありませんでした。
クロちゃんは、推定6歳くらいでした。
プレ−トを入れた、脱臼の手術とフィラリァの手術が
終わりました。たくさんの虫がいました。
フィラリァの薬さえ与えてくれなかった飼い主のようです。
里親の申し出の方はたくさんいました。
ただこれからも、フィラリァ感染のための、薬の
投与、プレ−トをはずす為の手術....
これからも、かなりの費用がかかることを
了解していただき、室内犬として飼って下さる方のもとへ
引き取られることになりました。
退院して、1週間我が家にいました。
クロと接して見て、素直な優しい性格に、涙が出る
ほどでした。どうして、こんないい子が捨てられ
なければならないのか.....
すぐには、会えない遠くへ行ったクロのことが
いつまでも、思い出されます。
実は、サイトにはここまで書いていました。
この時は、大勢の方の里親さんの申し出を断りましたので
飛行機で、埼玉県 深谷市に住む方のところへ差し上げたことは話せませんでした。
私の願いは、室内飼いをして下さる方でした。
外での生活
それはそれでもいいのです。。
けれども、フィラリァのお薬さえ与えず
脱臼したから捨てる
そんな想いの中のこのクロちゃんに、暖かい家の中での生活をさせてやりたい。。
飛行機で、1時間半
クロちゃんと飛びました。。
羽田で、貨物専用ゲ−トで里親さんと対面
娘さんが訓練士さんです。
ここで涙の別れ。。
ガル君と名づけてもらいました。
多くの子を里親さんに託しましたが
忘れられない子のひとりです。。。
2021/01/13(水) 10:59:58
朝のテレビ小説 花子とアン
我が家に古い聖書があります。
皮表紙でかなり古いものです。
教会関係者の方に見てもらいましたら、花子とアンの主人公は
結婚して、村岡花子になるのですが、その義理のお父さんになる
(村岡平吉さん)の会社で印刷された聖書でした。
明治37年印刷
村岡平吉さん
1852年7月7日(嘉永5年5月20日) - 1922年(大正11年)5月22日)は、日本の印刷業者。聖書印刷で有名で「バイブルの村岡さん」と言われた。
1883年横浜住吉教会(現、横浜指路教会)でG・W・ノックスより洗礼を受ける。以降、横浜指路教会長老として教会に仕えた。
上海に渡り印刷術を修めて、帰国後に聖書、讃美歌などのキリスト教書類の印刷のために、
1898年に現在の横浜市中区山下町に福音印刷合資会社を設立する。
後に福音印刷の支店を東京:銀座と神戸市にそれぞれ設立し、息子夫妻である村岡儆三・村岡花子の協力を得て、社主として活躍した。
2021/01/13(水) 10:55:15
2002年に保護した、むっくのこと
我が家にやってきて、5年経った頃に書いたものです。
2007年5月
むっくが、我が家にやって来て5年になりました。。
初めて見た時、あまりの異臭に近寄れないほどでした。。
全身の毛は伸び放題。。
すぐに美容院へ連れて行くと、全身にノミだらけです
すべて切ってしまわないと、どうにもなりません
そう言われて、仕方なく切ってもらいました。
見えてきた皮膚は、ノミに噛まれて痒くて引っかいて
さらにその傷にばい菌が入り、化膿し。。
伝える言葉が見つかりません。。
全身、真っ赤でした。。。
血尿を出し、我が家にやって来ても 座ることもしないで一晩立ったまま
夜を過ごしました。。
翌日、病院へ走ると、フィラリァ感染
重態でした。。
おそらくこの夏は越せないでしょう。。。そう言われました。
なんとしても助けてやりたい
不憫でなりませんでした。。
飼い主から逃げて来た、むっく。。。
もう絶対に離さないと心に誓いました。。
フィラリァ摘出手術と、膀胱炎治療で半月入院して帰って来ました。
保護した日に、美容院のオ−ナ−さんが
あまりに不憫で、カットを終えて、むっくにバスタオルを敷いてくれたそうです。。
その時のむっくの喜び
小躍りして喜んだそうです。。
外飼いで、温かい寝床など知らないむっくにとって
一枚のバスタオルは
生まれて初めての柔らかい敷物でした。。
その後、飼い主さんが見つかりましたが
私は、泣きながら、この子を私に譲って下さいと頼みました。。
飼い主さんもわかって下さり、晴れて私の子供になりました。。。
無駄声が一切ないむっくは
いままでに声を聞いたことが数回しかありません
柔らかい、ふかふかのベットでいつも寝ています。
2016年、16才まで私を癒してくれました。
亡くなる前日まで変わったこともなく、夜、すっ-と息を引き取りました。
2021/01/13(水) 10:42:35
Tさんのこと
お勤めしていた頃に、9歳年上のTさんがいました。
その時私は,二十歳でした。
生命保険会社には女性が多いのに、Tさんがすべてをまとめて
いつも和やかな職場でした。
私を陰に日向に応援してくれました。
皆が退職していっても、年老いた御両親と一緒に住んで
とうとう独身を通されました。
リュウマチの持病を持っていた彼女は
求愛されてもお断りしていたのでした。
私が退職してからも
大分へ帰省した時には会って
ずっとおつきあいが続きました。
そのTさんを襲ったもの
胃がんでした
最後まで私には、ふせていました。
聞いたときには、もう意識はありませんでした。。
白い薔薇が咲くと
Tさんを思います
清楚な姿が面差しに重なります。。。
2020/06/05(金) 13:51:42
1926年、大正15年4月に創刊した、カメラ雑誌 アサヒカメラが
今月6月19日発売を最後に休刊となります。
私は、2017年から読者の写真コンテストに応募を始めて
今年最後の7月号に載せてもらえる写真を入れて
22回の当選となりました。
94年もの長い間続いた雑誌の休刊は、淋しいです。
広告ペ−ジが減り、苦しい経営になったとか。
コロナの影響は、雑誌業界にも響きました。
終息を願うばかりです。
2019/11/09(土) 11:20:15
第37師団(だいさんじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍の師団、
盧溝橋事件後華北から華中・華南へと戦線が拡大し日中戦争が泥沼化するなかで、
占領地の警備や治安維持を目的として、1939年(昭和14年)2月7日に新設された
三単位編制の治安師団の一つである
大陸打通作戦で北京からバンコクまで踏破し、日本一歩いた軍隊と言われている。
南下の途中で終戦になり、ジャングルの中をバンコクまで歩いたという。
途中、マラリア感染、栄養失調に倒れた者は、歩けなくなり
泣いて連れて行ってくれと懇願したという。
熊本連隊から、37師団に編入され生き延びた父がいたからこそ
今の私がいる。
命の深さを知る、夜の長き秋です。
2019/08/27(火) 10:21:28
幼い頃に遊んだ線香花火
夏祭りに浴衣を着せて貰って、お友達と会場に行き
お盆供養の踊りを眺めていたこと。
帰ってから、小さい線香花火が楽しみでした。
線香花火に火をつけてから
蕾、次は、牡丹、そして松葉、最後は、散り菊
日本の言葉の美しさを知りました。
最後の最後まで、黙って見つめていました。
日々の記憶は、古いものから鮮やかに蘇ります。
懐かしき日々は、消えることがありません。
2019/07/17(水) 13:13:02
3年続けて応募している、富士フィルムフォトコンテストのフォトブック部門。
2年続いて入賞したけれど、去年は惜しくも最終選考まで。
今年も下書きが出来て、どんなふうに出来るか楽しみ。
最近は、スナップ撮影ばかりしているので
出かけたときに、いいチャンスがあるかないかで写真が決まる。
以前ほどは写真を撮りに出かけないけれど
近くでも素敵なショットが撮れることもある。
これからもマイペ−スで、こつこつと撮り続けたい。
2019/06/06(木) 14:26:26
五木寛之さんの言葉
私は古いものを捨てない。
思い出のつまった引き出しは、放っておくとさびいてくる。
しかし、繰り返しあけていると、どんなときでも楽に開けるようになる。
回想の引き出しをあける鍵のことを、依代 (よりしろ)という。
古い時計、コ−ヒ−カップ、古い服
昔のことが一瞬で思い出される。
だから、私は断捨離は出来ない。
*******
実は、私も断捨離が出来ないタイプ
気持ちが、ついていけない。
大量処分に。
2019/03/24(日) 00:21:25
3月21日
久しぶりに母に会ってきた。
大分駅で姉と待ち合わせて、家に着くと
大坂から兄が帰っていて、嬉しい再会。
びっくりしたことは、兄が父にそっくりになっていたこと。
母は、髪もふさふさして、元気。
散髪セットを持っていかなかったので、髪を切ってあげられなかったことが残念。
日一日と暖かくなり、過ごしやすくなってくる。
春風邪を引かないようにと願いながら、また会いに行こうと思いつつ帰った。
2019/03/03(日) 17:50:00
2001年3月3日に、このホ−ムペ−ジを始めました。
学生時代から文章を綴ることが好きだった私は
夢中で綴ったことを覚えています。
溢れるように言の葉を書きました。
やがて子供から一眼レフデジカメをプレゼントされると
お花のマクロ撮影に夢中になりました。
当時は一眼レフデジカメをおいてあるところは、電気屋さんでした。
ネットのお友達にRAW撮影を聞き、解像ソフトを教えてもらい
楽しい写真ライフとなりました。
カメラ雑誌、フォトコンテストに応募するようになり
お花から、スナップ撮影になりました。
今は、毎月、三誌のカメラ雑誌に写真を応募しています。
無理のないように、マイペ−スで自分なりの写真を撮っていきたいと思っています。
2019/02/28(木) 12:24:34
大分に住む母は、今月で98歳
先日、ふっと思い出したことがあった。
私は、小学6年生。最後の運動会。
徒競走が得意だった私は、必死で走っていた。
ゴ−ル近く、テープはすぐそこ。その時、母の声がしっかり聞こえた。
あいちゃん〜頑張れ〜
ゴ−ル前近くまで来て母は応援してくれていた。
一位になると黄色のリボンを胸に付けてくれる。
得意になり母に見せた。
懐かしき校舎や運動場
あの頃は、季節の流れがゆっくりだった。
2018年度のフォトコンテスト結果
2018.12 山陽新聞 二次通過
2018.12 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 惜春
2018.12 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) ワンステップアップ ウィンク
2018.11 山陽新聞 三席 秋のささやき
2018.11 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 入選 立ち話
2018.11 [雑誌]日本カメラ(モノクロ) 一次予選通過 大役終えて
2018.11 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 次点 ウィンク
2018.10 [雑誌]日本カメラ(一般) 銅賞 大好物
2018.10 山陽新聞 二次通過
2018.10 笠岡市人権フォトコンテスト 入選 高い高い
2018.10 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 通学路
2018.09 県展 入選 懺悔の街
2018.09 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 特選 労り合って
2018.09 倉敷フォトミュラル 入賞 天まで上がれ
2018.09 山陽新聞 二次通過
2018.09 [雑誌]日本カメラ(一般) 一次予選通過 開店待ち
2018.09 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 次点 ふるさとへ帰る女(ひと)
2018.08 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 入選 楽しいおでかけ
2018.08 [雑誌]日本カメラ(一般) 三次予選通過 花粉症
2018.08 山陽新聞 二次通過
2018.08 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 艶
2018.08 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 夕立の贈り物
2018.07 キタムラJAPANPHOTO2017秋冬 入選 イクメンの休日
2018.07 [雑誌]日本カメラ(一般) 銅賞 お迎え待ち
2018.07 [雑誌]フォトコン(初級) 銅賞 スタミナ補給
2018.07 [雑誌]日本カメラ(モノクロ) 一次予選通過 スマホがない頃
2018.07 明治安田生命 マイハピネス フォトコンテスト 佳作 絆
2018.06 [雑誌]日本カメラ(モノクロ) 銅賞 過去への誘い
2018.06 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 入選 過ぎ去りし日々を想う
2018.06 山陽新聞 二次通過
2018.06 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 一休み
2018.06 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 弾ける若さ
2018.06 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 次点 楽しい集い
2018.05 [雑誌]日本カメラ(モノクロ) 三次予選通過 4 お彼岸参り
2018.05 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 入選 惜別
2018.05 [雑誌]日本カメラ(一般) 二次予選通過 爽秋
2018.05 山陽新聞 二次通過
2
2018.04 [雑誌]日本カメラ(モノクロ) 最終予選通過 造船現場
2018.04 [雑誌]日本カメラ(一般) 二次予選通過 イクメンの休日
2018.04 山陽新聞 二次通過
2018.04 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 次点 今夜はステージよ
2018.04 [雑誌]フォトコン(初級) 一次予選通過 仲良しファミリー
2018.04 [雑誌]フォトコン(初級) 二次予選通過 至福のひととき
2018.03 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 特選 小さな商い
2018.02 第57回富士フィルム フォトコンテスト 優秀賞(フォトブック 尾道ねこ便り
2018.02 [雑誌]日本カメラ(モノクロ) 銅賞 おねだり
2018.02 山陽新聞 二次通過 2
2018.01 [雑誌]フォトコン(初級) 銅賞 薄化粧
2018.01 山陽新聞 二次通過
2018.01 [雑誌]アサヒカメラ(ファーストステップ) 予選通過 アモーレ
2018.01 [雑誌]フォトコン(初級) 最終予選通過
2018/11/06(火) 16:37:54
木々が色づき、木の葉はそれぞれのカラ-で
時を紡ぎ始めています。
木の葉は落ちてもなおそ、その木の養分となり
また春に素晴らしい若葉を見せてくれます。
日々の移ろいが愛しいですね。
先日ふと思って、いろいろなところで頂いたモニタ−の謝礼などを
集計してみました。
平成7年からメモをしていました。
最近は、雑誌の写真コンテストからの謝礼が多いです。
びっくりするほどの金額になっていました。
これからもこつこつと書き留めていこうと思っています。
2017/07/11(火) 10:40:57
トラちゃん
2年前の大晦日、年末の買出しにと車でお出かけしようとすると
車の下に鳥がいました。
どうしようかと迷ったけれど、猫のキャリ−バックを持って来て
蓋を開けて誘導すると、すんなり中に入ってくれました。
我が家の猫ちゃんに見つからない部屋に入れて、買い物を済ませて
鳥に詳しいお友達に、鳥の特徴を話して、食べそうなものを聞いてみました。
体の模様から、トラツグミのようでした。
果物、虫、いろいろなものを試してみましたが。何も食べません。
片方の目は、怪我をしたのか見えてないようでした。
元日の朝も、何も食べません。鳥に詳しいお友達は、かなり遠くですが
11時過ぎの列車に乗り、助けを求めて新幹線で行って来ました。
お友達の家には、4年前に助けてもらったツバメのピ−ちゃんがいます。
ピ−ちゃんも、巣から落ちた雛を私が育てたのです。
大きくなってみると、羽が少なく飛べませんでした。
野鳥を育てることはいけないのですが、まだ生きている子を見過ごすことが
出来なかったのです。
春になりトラちゃんは、女の子を呼ぶ元気な男の子でした。
片目はつぶれているけれど、今も関東で元気に過ごしています。
お友達の言葉
〔助けてくれそうな人を選んで姿を見せるのよね、鳥って。〕
2017/06/19(月) 13:06:08
6月17日、4月の二席に続いて、山陽新聞読者の写真コンテストに佳作で掲載され
嬉しいのと、びっくり。
これで7回目となりました。
40代の頃、読者の広場 (ちまた) へよく投稿しました。
50代になり、年齢が出るのがいやになり、新聞投稿を止めました。
自分のHPに、ポエムやエッセイを綴るようになったからでした。
今朝、ふっと思いました。 今、この年代で思うことを書いておきたい。
また、新聞投稿を始めてみようと。
今は、新聞社へのネットでの投稿欄があり便利になりました。
年齢を重ねるほどに、自然の美しさ、お花の色の可憐さ、若い頃には見えなった色彩が
はっきりと見えるようになりました。
過ぎていく季節の愛しさ
私なりに綴っていきたいです。
2017/05/03(水) 10:19:39
戦艦 大和 の語り部 八杉さんのお話
私は、桜が嫌いです。
1945年4月7日 私が乗船した大和がアメリカ軍航空部隊の総攻撃を受け
鹿児島県坊の岬沖で沈没し、約3000人の戦友が亡くなった日です。
多くの日本人が桜を愛で楽しくなるのに、私には一年で一番悲しい季節です。
大和が沈没する前日の6日、呉から秘密裏に沖縄へ向かって、夕方に豊後水道を通過し
大分県の対岸の山から舞う桜吹雪の美しい情景を見たときには、異様な興奮を覚え
武者震いしたことを昨日のように覚えています。
しかし7日には大和は沈没し乗組員約3300人のうち、救助されたのは276人でした。
私は、大和の駆逐艦、雪風に重油の海から救い出され翌日8日、密かに佐世保市の横瀬海兵団に
収容されましたが、佐世保の港に着くときも桜吹雪が舞っていました。
悲しさというより、唖然とした表情でみていたと思います。
桜舞う風景を露天甲板から後部甲板に行くと、数多くの遺体が並び、青空から舞う花びらが
彼らを覆っているではありませんか。
雪風のために散った戦友でした。
思わず敬礼し、涙が出て仕方がありませんでした。
私が桜を好きになれない理由がご理解いただけたことと思います。
2016/11/25(金) 11:55:12
一日が過ぎていくのは、遅く感じるのに
一ヶ月が早い、一年が早い
それでも、見えるものや感じることが若い頃より
深く心に残ります。
朝日や夕陽が、若い頃より、もっともっと綺麗に見えます。
大切な日々
ゆるやかに、ゆるやかにかみ締めながら
過ごしています。
新しき光が輝いて
また時は流れる
きらめく星の光
朝露のひとつぶ
花に抱かれたしずく
眺めるすべてのものが
愛しい時間
2016/11/14(月) 17:49:22
11月15日は「七五三」
3歳と5歳の男の子、3歳と7歳の女の子の成長に感謝し、
神社に参拝して、人生の節目をお祝いする行事です。
七五三は、もともとは公家や武家で行われていた「髪置き」「袴着」「帯解き」という別々の儀式で、
江戸時代後期に3つの儀式が1つになり、その後、今のような形になって広がっていったものです
昔は「7歳までは神のうち」といわれるほど子どもの死亡率が高く、
7歳までは魂の定まらない存在として大事に育て、節目の年に無事に成長できたことを祝って神様に感謝したのです。
2016/08/04(木) 10:09:17
ネットより
お盆には、各地で様々なお盆の行事が行われますが、盆踊りもそのひとつ。
単なる町内会のお祭りではありません。
本来、盆踊りはお盆に帰ってきた先祖の霊を慰める霊鎮め(たましずめ)の行事で、
死者を供養する「念仏踊り」(自分で念仏を唱えながら踊る)が原型です
次第に念仏を唱える人と踊る人に役割が分化し、
発展した「踊り念仏」が盂蘭盆(お盆のこと)と結びつき、精霊を慰めて送り出すための行事になりました。
今はお盆以外の時期に盆踊りを行うことがありますが、本来は旧暦7月15日の晩に盆踊りを行い
16日に精霊送りをしていました。
16日は精霊送りです。送り火を焚いて、先祖の霊をお送りします。
地域によっては海や川に送り火を流して精霊送りを行います。有名なところでは、長崎の「精霊流し」、
奈良の「大文字送り火」が毎年8月15日。京都の「五山送り火」と「嵐山灯篭流し」、
福井「敦賀とうろう流しと大花火大会」が毎年8月16日に行われています。
2016/08/02(火) 12:32:08
8月2日からは七十二候の「大雨時行(たいうときどきふる)」です。
空がにわかに曇り夕立になったりする頃。ひと雨降った後は少し涼しく感じたりしますね。
昨日の夕方、こちらでもにわか雨があり、久しぶりに庭が潤いました。
数日前には、ツクツクホウシも初めて鳴きました。
我が家の金木犀の下には、蝉の抜けた穴が20も見つかりました。
儚い命を精一杯鳴く声が、愛しいほど可愛いです。
若い頃は、蝉の声さえうるさいと感じたのに。
季節を重ねるっていいな。
いつもそう思います。
2016/07/08(金) 16:43:00
7月7日は二十四節気の「小暑」。
七十二候では「温風至(あつかぜいたる)」に入ります。
文字通り夏の風が熱気を運んできます。「小暑」は暑さがだんだん厳しくなってくるという意味。
もうすぐ梅雨が明け、夏本番がやってきますね。
「小暑」と「大暑」を合わせたおよそ1か月間を「暑中」といい、暑中見舞いを出すのもこの頃です。
瀬戸内では、梅雨明け宣言がないうちから
連日の猛暑でした。
今日は、久しぶりの雨
庭も畑も潤いました。
夕方の水遣りを19時半頃にしました。
涼しくていいです。
2016/06/30(木) 14:04:42
7月1日は、夏至から数えて11日目の雑節「半夏生(はんげしょう)」です。
「半夏」が生え始める頃という意味で、七十二候でも「半夏生(はんげしょうず)」にあたり、
雑節の中で唯一、七十二候から来た名称です。
「半夏生」は農作業の大切な目安でした。
田植えは半夏生に入る前に終わらせ、それを過ぎると秋の収穫が減るといわれてきました。
無事に田植えが終わると、水田や神棚に餅やお神酒を供え、
田の神に感謝する「さなぶり」という行事を行ったり、この日の天気で収穫のできを占ったりしました。
ところで、「半夏」とは何でしょう
半夏とは、「烏柄杓(からすびしゃく)」という薬草の異名です。
「半夏生」という名前の草もありますが、七十二候でいう半夏とは別の植物です。
名前の由来は、半夏生の頃に花が咲くからとする説と、
葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」と呼ばれたのが半夏生になったとする説などがあります。
また、古くは「片白草(からしろぐさ)」とも呼ばれています。
2016/06/24(金) 14:39:29
紫陽花
・変化する花の色
紫陽花は色が変化するのが特徴。土壌が酸性だと青系に、アルカリ性だと赤系になります。
日本は火山地帯で雨も多く弱酸性なので青系が主流です。
アルカリ土壌の欧州では赤系が大半なので、鮮やかな青紫の色は日本ならではの美しさです。
・紫陽花はガクが美しい
花びらのように見えるのはガクの部分。中心部に小さな花を咲かせます。
てまり状に咲いているのは「西洋アジサイ」。
日本が原産の「ガクアジサイ」は額縁のように周囲だけに花が咲きます。
もともと紫陽花は日本固有の植物。
長崎出島に来たオランダ人シーボルトが、恋人の「お滝さん」にちなんで「オタクサ」という学名を付けて海外に初めて紹介しました。
それが品種改良され、日本に逆輸入されたのが西洋アジサイです。
・紫陽花の名前の由来
もともと日本では「集真藍」(あずさあい)といい、これが「あじさい」に変化しました。
やがて、白居易の詩から「紫陽花」という字が当てられるようになりました。
色の変化から「七変化」(しちへんげ)という別名もあります。
東京周辺では鎌倉の「明月院」があじさい寺として有名ですが、その他にも紫陽花の名所は多数あり、6月はあじさい祭りが各地で開催されます。
2016/06/22(水) 20:06:35
毎朝起きてすぐに新聞を取りに行きます。
連載されている小説を読む為です。
ひとつは、徳川家康
もうひとつは、一茶の俳句がよく出るお話です。
祖父が始め和菓子店が、父の事業の失敗で廃業となり
高校を中退した主人公が、苦労してお店を再興する
そんなあらすじの中に
一茶の俳句が添えられています
今日の俳句は、 〔なまけるなイロハニホヘト散る桜〕
桜がすぐに散るように、時間はすぐに過ぎていくから
怠けずに一生懸命、勉強や仕事に頑張ろうという意味
今月の新聞には、写真コンテストに3席となり
これで新聞掲載は、5回目となりました。
2016/06/20(月) 18:59:05
時々行く、遠くの花屋さん
いつもお花の手入れをしているあの方が、経営者の方だと思っていましたら
いろいろとお話する機会がありました。
(私は、14歳のときに肉親を亡くしました。
苦労したからと言って、親をどうこう思ったことはありません。
むしろ、早くから自立する力を貰って、感謝しかありません。
思い出は、財産だと思っています。
自分を信じて進めば、夢は叶う
いつもそう思って、頑張って来ました。
数年前に、癌になりましたが、手術して生かされています。)
お花たちと、ご主人のパワ−を貰って帰って来ました。
2016/06/15(水) 17:44:07
梅雨の頃は、体に水分が溜まりやすくなります。
余分な水分は、手や足、胃腸などに滞るとむくみとなります。
発汗と利尿
大切ですよね。
青じそや、赤ピーマン、は発汗を促進してくれます。
カツオや茄子、小豆は、利尿作用があります。
毎日を元気で過ごせたら、それだけでほっとしますよね。
ポエム写真集
40ペ-ジ、20枚の写真と20のポエムを入れました。
タイトルは、あいのうた。
もうすぐ出来そうです。
2016/06/13(月) 16:25:01
月の満ち欠けによる名前
【十六夜】
「十六夜」と書いて「いざよい」と読みます。まん丸の満月十五夜は、
月が太陽の反対側に来て、輝きます。
この月は日没とともに東の空に昇り、明け方には西の空に沈みます。
これ以降は月の出がおよそ50分ずつ遅くなっていくので、
16日目は、月が出てくるのをいざよう(ためらっている)ようだとして「十六夜」
【立待月】(たちまちづき)
17日目は、さらに月の出が遅くなり、まだかまだかと立って待つから「立待月」
【居待月】(いまちづき)
18日目は、待ちくたびれて座ってしまうので「居待月」
【寝待月】(ねまちづき)
19日目は、もう床に入って待つから「寝待月」
【更待月】(さらまちづき)
20日目は、夜も更ける頃なので「更待月」。
【有明月】(ありあけづき)
26日目は、夜明け(有明)の空に昇るから「有明月」。
「有明月」は16日目以降の月の総称でもあります。
このほかにも様々な名前がついていて、月に寄せる思いが伝わってきます。
月を眺めて、人を待つ
いにしえの人は、風流でしたね。