Short Story

since 2002.6.14

No49



元気で、温かくて
家族をいつも包み込んでくれた母が
脳梗塞で倒れた。

母はこんこんと眠り続け
くじけそうになる
気持ちは
いつしか、涙ばかりになっていた。

絶望の果て
酒をあおる父

母は、術後も眠り続け
孝子は絶望の日々を
過ごしていた。

そんなある日
なにげなく
聞いた歌
中島みゆきの「時代」だった

-まわるまわるよ時代はまわる
喜び、悲しみ くり返し-
-今日は別れた恋人達も-

優しく、力強い言葉に
泣いていた孝子だった。

夏 暑い日が続いていた
母の体をふきながら
この歌を口づさんだ
そして
40日目にして、母の目から
涙が落ちた

-そんな時代もあったねと
いつか笑って話せるわ-

孝子にとって
忘れられない
思い出の唄となっている

2002.7.31




No48

イヌノフグリ

♪〜菜の花畑に 入日薄れ
見渡す山の端 霞ふかし...♪〜

母の手に引きずられるようにして
歩いていた清の後ろで
姉がこの歌を歌っていました。

代々村長の家をしてきた
清の家は
父が保証人になった為
家や土地を手放し

東京へ引っ越すための
駅までの道のりでした。

突然、母が泣き崩れました。
激しく泣く母を見て
幼な心に
なんとかしなくては

そう思った、清だった。

ふと足元には
薄紫の花が咲いていました。
その花を手にのせて
母に渡しました。

母は、はっとしたように
受け取りました。

「ごめんね 母さん 頑張るね」

その言葉に清は
大声で泣き始めていた。

ひとしきり泣いたあと
「父さんが待っているからね」
母の声に安堵して見上げました。
母にはこの数ヶ月の間
見えなかった、空や雲が
もう見えていました。

あとで知ったあの春一番に咲く花は
イヌノフグリでした。

2002.7.30



No47

旅立ち

「さようなら、元気でね」

まもなく列車は出発しようとしていた。
もう少なくなっていたけれど
中学を出たばかりで
遠い新潟への旅立ち

卓球が上手だった
アキちゃん
笑うとえくぼが
可愛くて
男子生徒の人気の的でした。

元気よく話してした
アキちゃんの顔が
急に曇りました。

とたんに
瞳はうるみ、涙がこぼれてきました。

見送りの校長先生が
優しく肩をたたきました。

「頑張って!」

アキちゃんは
うん、うんとうなずきながら
汽車の人になりました。

春はまだ浅く
さくらの蕾が
アキちゃんの涙を眺めていました。

2002.7.29




No46

ハンカチ

金沢への帰り
富山にある美術館に行った帰りだった。

そっと彼が私の手を握った。

照れたような彼の顔
私も頬が上気していた。

汽車は夕闇の中を走り
夜が深くなりつつあった。

この人をもっと好きになるんだな..
そんな気持ちが心で揺れていた。
私は、バックから
ハンカチをそっと出して

二人の手にかけた。

びっくりしたような彼の顔
まるで犯罪者が
手錠の上にかけられた
ハンカチのようだった。

私はそっと
彼の手を握り返した。

汽車の窓から
家々の灯りが流れていた。

2002.7.28

No45

語り部

昭和20年7月21日
俊夫が九州の特攻基地へ発つ日だった。

何度も心の中で
繰り返した言葉

「お母さん、いってきます 元気でいてください」

いざ、母と向かうと何も言えずに
ただ、顔を見ていた
一言も言えなかった

母も一言も言わなかった
母と私はただ肩を並べて立っていた。

集合の合図がかかった
母が私の肩にそっと触れた

「死なないで、 死んだらだめだよ」
震える指がつぶやいていた。

血書を書いて
特攻隊に志願したことへの悔いが
涙とともにこみ上げてきた。

「母さん ごめんね」
そう言うと
列車に飛び乗った

瞼にたまった涙が
一気に吹き出し、頬を伝った

..............................
俊夫は生き延びた
戦後の日々を思いながら
あと残された日を思い
戦争の語り部として
今日も修学旅行の生徒たちへ
話す日だった。

2002.7.27



No44

見送り

まゆは、知っていた
先ほどまで
逢っていた、彼が
小さくなっていく列車を
点になるまで
見送ってくれることを。

金沢と京都
何度も何度も
往復した列車

駅では堂々と抱き合うカップルもいたけれど
別れ間際になって
いつもの
「元気でね」

行きは、逢えるとう
ときめきと、ためらいで
座れなくても
心は揺れて
疲れは感じなかった。

帰りは
ただじっと
窓からの景色を眺め
窓ガラスは
喜びも哀しみも笑顔も
いつも刻みこんでくれた。

もうすぐね
結婚式は..
まゆはそっとつぶやいた...

2002.7.26



No43

引き揚げ

「明日、出発らしい」
「そんなに、急にですか..」
「とにかく、ありったけの米を炊いておにぎりを作ろう」

昭和21年6月だった。
次々に引き揚げ船は
出てゆき
もう、奉天を出発して
船が出る
青島まで、行かなければ
帰れなくなる。
そんな不安の中での生活だった。
清子は、2週間前に次女を産んだばかりだった。

100人ほどの日本人の集団の中に入った。
朝、あわてて
くるんだおにぎりは暑さですべて
腐っていた。
それでも、生きるために食べた...

3歳になったばかりの長女は
歩きながら
泣くばかり。

「おい! その子をここへ置いてゆけ、泣かせるな、声で襲ってくるぞ」
誰しもが生きることに必死だった。

背中で冷たくなっていた我が子を川に流す人もいた。
昼は茂みに隠れ
夜歩いたのだった。

次女は出ないお乳をしゃぶり
声さえもあげない。

昭和21年8月6日
故郷の駅に
着くのは
まだまだ先だった。

2002.8.6



No42
戦い

昭和20年8月
終戦まじか
満州国
関東軍にいたYは
出発の命令を受けていた。
炊事班に所属していた為
倉庫には
膨大な米がまだ管理されていた。

あれを置いていくというのか。
ここにくるまでには
戦闘も繰り返してきた。

戦争なんて
自分が相手をやっつけなければ
やられるまでのこと
感覚はマヒしてしまっていた。

命のことなんて
考える余裕もない

ただ銃を撃った。
むなしいだけだった。

翌朝未明
隊は出発した。

多くの開拓民と民間人を置いたままに。

Yはまだ知らなかった。
タイ、ビルマと抜け
多くの戦友が
マラリアで倒れ
「連れていってくれ」
そう叫ぶのを
振り切って

隊は進んでいくことを...

2002.7.24



No41

メ−ル

琴乃さん
こんばんは

いつもメ−ル、ありがとうございます。
本格的な暑さになってきましたね。
如何お過ごしでしょうか。
私の方も
元気でおります
安心してください

ひじきの煮付け美味しそうでしたね
食べたいと思いましたよ

若い時の琴乃さん
女学校へ行っていましたね
お下げ髪を覚えています。

あの時代は
声をかけることさえできませんでした。

今、こうして
瞬時に言葉を送れます
なんという時代になったのでしょう

あとわずかな
残された時間を
心静かに、豊かに
過ごしていけたならば
本望です。

この年になっても
心豊かに生きてきた人
生きようとしている人に
あこがれを感じます。

こんな年代になった僕でも
よかったら
今年は嵯峨野の紅葉でも
一緒に見てもらえますか。

すず風が立ち始めるのが
楽しみです

では
暑さには気をつけてください



2002.7.23




No40

メ−ル

ケンイチさん
おはよう〜

昨晩のメ−ル
少しドキドキしました。
だって
あんなこと、書いてくるから...
ダメです...
想像なんてしたら
ダメですぅ...

今朝はとても早く目が覚めました。
いつもだったら
もう一度
眠るのですが
なんだか、眠れなくて
ケンイチさんのせいですね...
きっと...
もう支度を始めますね

また、今夜ね...
待っててね...

メ−ルだけしか飛んでいけないけれど....

はるか

...............

はるかさん
おはようございます

何だか気になって起きました。
あんなことを書いてしまって
後悔です。
許してくださいね。

梅雨も上がり
ますます暑くなってきますね。

ずいぶん細いので
なんだか心配です。

夏バテしないで下さいね
では

いってきますね

また、帰ってのメ−ル
待っていて下さい

ケンイチ

2002.7.22




No39

メ−ル

はるかさんへ

今日は会えて嬉しかったです。
新神戸駅で
少しうつむき加減に
歩いて来たはるかさんを見つけた時
何て若い人なんだろうと思ってしまいました。

白い木綿のブラウスにジ−ンズ
髪を三つ編みにして帽子をかぶった
貴方を見て
正直、びっくりしました。

僕は白い服が大好きなんです。
白ってなんだか
とても清潔そうで
大好きです。

そして
お昼をご一緒した時
なんて細い指なんだって
僕は
ため息をついていました。

アハハハハ

すみません正直にいいました。
異人館のアンティ−クな家具も好きだということ
なんだか
似ていますね
今日は会えて本当にうれしかったです。

ぜひまた
お会いたいです。

.............

ケンイチさん、こんばんは

今日は会ってくださりありがとうございました。

駅で会っていろんなお話をして
ケンイチさんの明るさに
私は、少しびっくりしました。
お昼もなんだか
胸がいっぱいで...

でも一生懸命
食べました

少し疲れています。
でもこの疲れは
少し熱めのシャワ−を浴びたら
取れてしまいそうな
心地好い
そんな疲れです。

どんなに遠くに離れていても
こうしてメ−ルできるっていいですね

異人館もステキでしたけど
会えたことがなによりも嬉しかったです...
ではまたね

☆☆☆☆☆☆☆

はるかのこのメ−ルを見て
もう一度ケンイチがメ−ルをくれることを
はるかは知らなかった
......................

はるかさんのメ−ルを読んで
僕は思わず
はるかさんのシャワ−姿を思い浮かべてしまいました。

アハハハハ

すみません
男ってこんなもんです。

正直すぎまして
申し訳ない
ではおやすみなさい

ケンイチ

2002.7.21



no38

メ−ル

浩さん こんにちは
梅雨空が明けぬまま
よく台風がきますね
その後、お変わりありませんか

先日は急にひじきの煮付けが
食べたいと思いまして
作りました。

ほんの少ししたつもりでしたのに
たくさんになってしまって
お近くでしたら
お届できますのにね

笑って下さいね
70代半ばになりましたら
やはり柔らかいものが
食べやすいですね

どうぞ
お体ご自愛下さいね
稲が実るための暑い夏を過ごし

涼しげな秋を過ごし

燃えるような
紅葉の季節が参りましたら
また
お会いできまですでしょうか...
浩さんは
僕の若い姿を覚えてくれればそれでいいと
いわれますが
そうでしょうか...

神様がくれた
この穏やかな心
あとわずかな
人生

このことを
そっと
心で一緒に受けとめてくださいませんか...

いつも勝手ばかり
申します。
私、若い時からそうでした。

では、天候が不順ですが
お体大切になさってくださいね

浩さま

琴乃

2002.7.20




no37
メ−ル

はるかさん、こんばんは
いよいよ、明日会えますね...
実は正直に書きますが
ここ、最近トンチンカンなことをしていまして
心ここにあらずでした。
アハハ
はずかしながら書いてしまいました。

僕は背も高くありませんし
どうか、がっかりしないで欲しいです。
お互い好きな映画のこと
車のことでも
楽しく話ししてもらったら
嬉しいと思っています。

では、会えるのを楽しみにしています。

...................

ケンイチさん、こんばんは
あのう...

私も、最近頼まれたことを忘れたり
ぼ〜としていたり
ハズカシイです。

暑い時ですから
長い髪は束ねています。
どうか、びっくりしないで下さいね

あっ、帽子をかぶっていますので..
わかるでしょうか
私のこと...

お互いにすれ違ってしまったら
携帯電話を鳴らして下さいね。
明日ね...
楽しみです。
でも、ドキドキです...

☆☆☆☆☆☆☆

はるかは知らなかった...
ケンイチがふたつ年下だということを。

2002.7.19





No36

小さな出来事

北陸線で旅をした時のこと
強風の為
各駅列車の列車が途中で
しばらくストップした。

3歳の子供は退屈し、
くずり始めていた。

前の駅で乗り込んで来た
3人の高校生が
カバンの中をゴソゴし始めた

タバコでも..
こっちも教師のはしくれ

黙っている訳にはいかない
ヘソのあたりまでしかない短ランに
ブカブカのズボン
素直に聞く相手とも思えない。

ところが取り出したのは
問題集だった
仲良く問題を出しあっている

こうなったら愛嬌だった。
時代遅れのツッパリもいい

急に旅情がこみ上げてきた。

陽だまりのような
心が動いた

しばらくして
ゴトンと動き始めた時
彼らから、ワ−と歓声が上がった

2002.7.18



No35


名前

若草色の絨毯を敷いたような
田園が広がっていた。

遠くの木々は、たっぷりと雨水を含んで
清々しい

風は優しく流れ
智子は、初孫を見るために
列車に乗っていた。

おとなしいと、思っていた子の
高校生になってからの突然の反抗

言葉では伝わらないもどかしさ
母なれば
わかること
自分が母にならなければ
わからないこと。

時が自然が必ず
教えてくれると思っていた。

やがて嫁ぎ
母さんの苦労..わかった気がする..
そう言っていた、娘だった。

智子はまだ知らなかった。
孫の名前は
智子の字をもらっていることを。

智恵美という
可愛い顔の孫だということを。

2002.7.17




No34

メ−ル

こんにちは
はるかさん、もうすぐ会えますね。
実は、本当のことを言うと
((o(^−^)o))ワクワクしているのですが
僕と会って、がっかりしないでしょうか
とも思ったり
複雑な心境です。
アハハハ
(笑ってごまかしています)

神戸異人館のあたりを歩いて
何か美味しいもので食べようかと
思っています。
それとも、中華街での食事がいいでしょうか..
お返事お待ちしています。
では〜

...............

ケンイチさん、こんばんは
あのう...
同じことを思っていました。
私は、背も低いし
幼い顔をしていまして
いつも、まともに年に見てもらったことがありません..
少しボケたような
写真を一枚送っただけ。
私こそ、がっかりされるのではと

そう思っています。

なんだか、同じことを思っていますね。
(^-^)
食事は何でも戴きますので...
でも..あのう

きっと
初めて会う訳ですから
胸がいっぱいで
少ししか食べられません..
きっと...
では、会える日に..
駅で私を見つけて下さいね。

2002.7.16




no33

茜色の空


街へ出る列車に乗ると
長い、長いトンネルを通る

雅子は今日も列車に揺られていた。
資格を取る為に
いつも乗ったのだった。

一生勤めるつもりでいた
お勤めをしていた。
それが、夫の転勤により
自分さえの道も
無くしていた。

思いあまって、通ったセミナ−
長い長いトンネルを抜けると

見事な雪景色だった。
長い沈黙のあとに
踊り出た

まぶしき銀世界

ちっぽけなことを..
何を迷うことがあろう..

再び、与えられし
仕事への意欲

心の中で
何かがはじけた。

茜色の夕日を包みながら
暮れていく空は
どこまでも続いていた...

2002.7.15



No32

ヒメジョオン



丘の上には
ヒメジョオンが咲き乱れ
もうすぐ、列車がやって来る頃だった

聡子は、愛犬を連れじっと待っていた
もうすぐ
先生の乗った列車がくる
心臓が早鐘のように打っている

今日は、研修を終えた
先生が去っていく日だった

淡き思いが
流れた日々

もう会うこともない

遠い世界の人
青春のヒトコマ

けれども
聡子にとっては

去って行く人が

数年後、思わぬ場所での再会

再び、心揺れることがあることを
まだ知らないでいた。

野の花が聡子には
ぼやけて見え
涙が頬に落ちていた...

2002.7.14



No31

面影

「行ってしまうのね...」

「すぐ帰ってくるよ、3時間だからね」

「でも... 淋しくなる...」

「うん..わかっているよ...」

大学生活をする為に
大阪へ発つ日だった。

こうして、僕の遠距離恋愛は始まった。

大学の休みの日は
すべて、故郷へ帰ってきた。

あの子に会うために。

駅で必ず、さらさらと髪が揺れ
待っていてくれた..

帰る度に伸びていく
黒髪が僕は好きだった。

瞬くまに、4年は過ぎ
僕は、故郷での就職を決めた。

そして..

あの子は、隣に眠っている..
あの頃の面影を探そう...

ほんの少し口を開けたような顔だぁ....

2002.7.13




no30

夕焼け

「後のことは心配しないでいいよ〜」
弟の声が響いた

結婚して、夫の待つ海外へ行くために
故郷を離れる列車の出発時間だった。

東京行きの不安
見知らぬ土地への不安
なにもかもが
入り混じり、席に着くと
熱いものがこみ上げてきた。

外は、真っ赤な夕焼け
見なれた風景
何気なく過ごしてきた
日々
遊んだ、山や川

父が亡くなって2年あまり
小さくなった母が
余計淋しげに見えた。

頑張ろう、私なりに...

夕焼はどこまでも続き
海鳴りの聞こえる街は
遠くになりつつあった..

2002.7.12



No29

またね

新幹線乗り場で見た光景

別れを惜しむように
手を握り、抱き合っていた。
女の子が彼に逢いに来たらしい
泣いている..

またね
そう言っているような唇

発車のベルが鳴り
慌ててドアに飛び乗った。

淋しそうな瞳
遠くを眺め
思いつめている

新幹線は加速され
もう泣いてはいなかった。

カ−トの音が後ろからして来た。

「あのう、お弁当とお茶下さい!」
えっ?

周りの人も同じように
女の子を見ていた。

その時
「チョコレ−トも下さい」

元気な声が聞こえた。

2002.7.11




No28



高校生活を終え
逃げるように
東京への就職を決めた和美だった

口うるさい両親への反発
家を出ることが唯一の希望だった

O駅からの寝台特急「富士」
見送りに来た両親は
いつになく物静かであった

和美自身も心弾むことがなく
晴れの門出の雰囲気はなかった。

発車のベルが鳴り響いた

列車の窓越しにホ−ムに立つ両親の
顔がぼやけた
両親も泣いていた。

とたんに
涙がせきを切って溢れた
両親への愛情がまだ残っていることに
気づいた

今まで、言葉で突き刺すように
反抗してきたことへの
申し訳なさが
胸に迫った..

春まだ浅く
花冷えのする夕闇の中
窓際の席で
和美はいつまでも
泣いていた..

2002.7.10




No27

汽笛

トンネルを抜けた列車が
緩やかなカ−プを曲がり始めると
長い汽笛が鳴り始める
いつもの光景だった。

それを合図のように
客車の窓が一斉に開き
乗っていた人が手を振っていた。

通勤列車の朝夕に
繰り返されることだった。

線路の向かいに1軒の二階家があった。
その家の窓は
いつも大きく開けられていた。

そして、小さくキラリと光るものが見えていた。
鏡であった。
そこには、寝たきりの若者がいた。

いつの頃からか
誰が始めたのか
わかっていない

機関手は変わっても
汽笛が忘れられることはなかった。

そして
乗る人も、汽笛と一緒に
気持ちを合わせたのでした。

遠い、遠い日のことでした。

2002.7.9



no26



ガラガラ〜
車輌の扉が開いた
「あっ、あの人が来る」

「キップを拝見いたしますぅ」
ドキドキ..

「あれ、気づいていない」
「あの..」

一瞬、彼が私を見た
顔が赤くなり
何もいわずに
歩き出した。

次の車両に向かう扉の前で
照れくさそうに振り向いた、彼だった。

今日は、車掌デビュ−の日
何度も繰り返して
練習していた。

心配で、こっそり乗ってみました。

さわやかな風が吹き
ステキな一日でした。
貴方のこと
もっと、好きになりました...

2002.7.8




No25

最後の運転

今日は列車の運転、最後の日ですね
長い間、本当にご苦労様でした。

実は、今日こっそりと
貴方の運転する
最後の列車へ乗ろうと思っているのです。

運転席の一番近い席へ
座りましょう

後ろ姿を見ていたら
落ち着きませんか
カタンカタン..
揺られて
眠くなったらごめんなさいね

今度からは
一緒に乗って、外を眺めることができますね

春さくら、夏はツバメを追いながら、目も覚めるような紅葉を眺め
これからは、ゆっくりしましょうね

今日の日を無事に迎えられたこと
感謝です。

この手紙
上着のポケットへ入れておきますね

見つけてくれますか...

2002.7.7



No24




桜が好きな祖母であった。

「どなた様かは知りませんが、今日は桜を見に
一緒して下さりありがとうございます。」

駅のホ−ムで
私はそっと祖母の手を握った。
何もかも、わからなくなってしまう
病気..

「いい、お天気ですねぇ」
祖母はもう何もかも忘れていた。

家族との想い出
楽しかった日々

けれども
震度7の恐怖
亡くなった、妹のこと

悲しみも一緒に
なくなってしまっていた。

線路脇に咲く桜の木の
花びらが

まるで祖母に見てもらうように
はらはらと散っていった...

2002.7.6



No23

再会

見渡す限りの麦畑の中を
列車は走っていた。

和夫は
少し窓を開け
過ぎ去る景色を眺めていた。
陽は西に傾きはじめ
麦の稲穂は
オレンジ色に輝いていた。

ホ−ムにはひとりの男性が待っているはず。
両親の離婚により
たったひとりの兄との生き別れ

先年、父が亡くなった為
せめてもの形見分けと思い
人を介して
ようやく
捜し出した兄だった。

和夫はまだ知らなかった。
ホ−ムに立つ人が
父にそっくりだということを。

「あっ、父さん」というほどの驚きということを。

列車はガタンと揺れ、止まり始めていた。
ホ−ムに長く伸びる
ひとつの影法師が
まもなく
ふたつになる時だった。

2002.7.5



No22

メ−ル

ケンイチはいつもより少し早く起きたので
はるかへメ−ルを打っていた。

.............

はるかさん、おはようございます。
昨晩は、はるかと呼ばせて下さいと
ずうずうしいお願いをしまして
( ..)ヾ ポリポリ

このことは、付き合っていく中で
生まれてくるものですよね。
何も今
背伸びしなくてもいいことでした。
すみませんでした。

実は日曜日も出勤があったりして
忙しいのですが
今度の海の日は
土曜日です。
もしよかったら
お互いの中間地点である
神戸で会ってもらえませんでしょうか
写真は以前送った通りの男です。
当たり前 _(^^;)ゞ

お返事、お待ちしています。
では
行ってきます。
................

はるかはこのメ−ルを受け取って
服は何を来ていこう
どんな服装が好きなのかな..
いろいろと考えているうちに
すっかり遅くなっていた。

時計が少し遅れていて
はるかは
バス停まで
走らなくてはいけないことを
まだ知らなかった。

2002.7.4




No21

別れ

「良子ちゃん、あそぼ!」
学校から帰って
おやつを食べていると
いつもの、春代ちゃんの声がした。
「うん、すぐ行く 待っててね!」

「公園に行こうか」

いつも仲良しのふたりだった。
父の勤めている会社が
同じで近くの社宅に住んでいた。

秋の日の夕暮れは早い
空が茜色に染まったのを眺め
帰り始めていた。

二人の顔も赤く染まりそうな
夕焼だった。

「明日も遊ぼうね」
「うん、遊ぼうね」

ふたりはまだ知らなかった。
もう決して会うことがないことを。

翌日、春代ちゃんの父が
業務上横領の罪で逮捕されることを。

学校に来なくなり、家族とひっそり
引越ししていくことを。

...........
良子は思い出していた。
えくぼの可愛いかった春代ちゃんの顔を。
ふっくらとした笑顔を思い出していた。
そして
そのまま
大人になった春代ちゃんの顔は
思いつかないままだった...


2002.7.2



no20

倉敷

小窓のカ−テンが風にやさしく揺れて
いつもの風景を眺めながら、かすみはゆっくりと思い出していた。

青春の日々の旅行..

季節の風に誘われて、思い出扉がゆっくりと開いていた。
仲良しの友と一緒に来た倉敷
美観地区で、ものすごい夕立にあい
帽子も服も濡れ、笑ったこと。
年月は流れ、四季がうつろい、時はゆっくり流れゆく。
あの時に
スナップ写真を撮ってくれた人と
友は文通を始め
東京へと嫁いで行ったこと。
昨日のように思い出され
ふと
冷めた紅茶を飲んでいた。

頬に優しい風の便り...

訪ねた町の数々

時間が、ゆっくりと過ぎてゆく。

もう一度行ってみたい

青春時代の自分と、再び巡り会うために。

あの時は
こんな近くにお嫁に来るなんて
思いもしなかった。
過ぎた日々が懐かしく
遠い日のことなのに
いつも輝いているのは
あの日の自分が
とても輝いていたから
楽しいと感じていたから

あの日の自分に戻れることは出来ないけれど
歩いたあの道を通ることはできる

新しい思い出を作るために...
行ってみようか...

自分探しの旅は、まだまだ続いている
そんなことを思う、かすみの携帯電話が
なっていた。

2002.7.2




No19

蝶の夢

ドイツの片田舎にクララは住んでいた。
生まれつき、心臓に欠陥を持つクララはまだ5歳だった。

母親のエリザベスが、とても花が好きなこともあり
クララの家の庭にはいつも花たちが咲き乱れていた。
窓辺には、アイビ−ゼラニュ−ムが揺れ
色とりどりの薔薇が
香りを運んでいた。

10歳になった時、手術をすることになっていた
クララは、いつも静かに家で過ごしていた。
その日は
窓辺から見えた蝶の美しさに引かれて
芝の上に出て
そっと、眺めていた。

その時、ふわっとクララの意識が遠くなっていった。

.............
クララは、草原の花の中にいた
少年が手招きしている。
「おいでよ、こっちだよ」
「遊ぼうよ」
歩き出そうとすると
そして、また意識が遠くなっていた。

...........................
花の中に青年が立っていた。
「クララ、よく来てくれたね
これからは、ずっと一緒だよ」
あの少年の面影を宿した人だった。

...............

クララは病院で目覚めていた。
母の心配そうな顔

「この人がね
クララを見つけてくれたの」

そこには
あの草原の中にいた
少年が立っていた...

2002.7.1



No18



窓の外では
大きな桜の木の花びらが
薄い色を輝かせて、多くの人々を楽しませていた。

守は気になっていた。
2年前に同期に図書館司書として
勤めている、幸恵のことが。
小柄な幸恵は若く見えて
守はそのことも気にいっていた。
ワゴンで返却本を黙々と運ぶ
幸恵の姿を時々ずっと追っている
自分に気づいていた。

メ−ルアドレス教えてもらえないだろうか
館長に聞いてみようか
でも、ダメだろうな
そんなことを思いながら
守は、雑品庫に続く廊下で
館長とすれ違った。
館長は、守の遠縁であった。

「あのう、館長」
「元気でやっとるかね」
「ここにお勤めしている人のメ−ルアドレス
教えてもらう訳にはいかないですね」

「直接聞きたまえ、誰のかな」
「あのう、○○さんです。」

館長は長い廊下の向こうに
幸恵が通り過ぎるのを目にしていた。

もともと、大きな声で通っている館長の声が響いた。
「○○君、ちよっと!」

幸恵がゆっくりと振り向くと
守の顔は上気していた。

窓の外では
初めて花びらが一枚散っていた。

2002.6.30



no17



日曜日の朝
洋介はまだ、まどろんでいた。

ずっと忙しい日々が続き
深夜遅く帰ってくる日ばかりだった。
秋は深まり公園の木はついこの間まで
真っ赤な紅葉を見せていたのに
もう、はらはらと散り始めていた。

5年前に婚約者だった加奈子を
病気で亡くしてからは
ずっと面影ばかりを追っていた洋介だった。

ふと、遠くに加奈子の姿が見えていた。
洋介の好きだった白いワンピ−スのフレア−が揺れていた。
あの日、浜辺で出会ったふたり
笑いこげた楽しい日々
もう戻らぬ日々

思い出は流れゆく季節に
ゆっくり、ゆっくりセピア色になっていく
けれども、洋介には
まだ加奈子の面影が消せないでいた。

「洋介さん、おはよう」
「いつも、いつもあれからずっとそばにいました。」
「でももう、貴方にはステキな人が現れるわ」
「私にはわかるの」
「そして、ステキな恋をしてね。遠い空から幸せを願っているわ」
「もう、本当のさようなら...」

洋介は、遠くに響く学校の時計台のメロディ-で目覚めていた。
久し振りに見た加奈子の微笑みを思い出していた。

庭では、かさこそと落ち葉が風に舞っていた...

2002.6.29



no16

ビ−ル

「買って帰えろうよぅ」
「いらないよぅ..誰も飲まないし」
「ゆっこが飲むだろ」
「もったいないから、いらないよぅ」

日曜日の昼下がり
昨日の雨が嘘のように上がり
真夏のような太陽が輝いていた。
由美は、夫の毅と一緒に
ス−パ−のお酒売り場にいた。

毅はお酒は飲まない。
けれども時々、こうして
ビ−ルを買って帰ろうと
由美に言っていた。
由美が美味しそうに
ビ−ルを飲むことが好きだったからである。

由美は心の中でつぶやいていた。
結婚して20年になるのに
大きな声で、ゆっこって呼ぶから
さっき人が振り返って見てたわ..

そして
由美は知っている
夕食の時
毅が、ささ〜どうぞと
ビ−ルをついでくれることを...

2002.6.28



No15

メ−ル

夏の日の夜明けは早い。
さわやかな空気が広がり、庭の花たちは
朝露にぬれていた。
はるかは、6時にセットした目覚まし時計が鳴る前に目覚めていた。
そっと起き上がり
パソコンのメ−ルを受信していた。
メ−ル、届いているかしら..
心の中でつぶやきながら
画面を眺める。

ネット上でふと知り合った
ケンイチという人とメ−ルのやりとりをしていた。

................
はるかさん、こんばんは。
いつもこんな遅い時間に失礼します。
月末で仕事が忙しいことと
同僚とのつきあいもあり
またまた、遅く帰ってきました。
いつも優しい、ほんわかしたメ−ルをありがとうございます。
なんだか、1000キロの遠くに住む者同士とは思えませんね。

今夜は、ちょっとためらいながら
お願いをしてみようかと思いまして..

実は、あのう
はるかと呼ばせてもらっていいでしょうか?
僕のことを、ケンイチと呼んでもらいたくて
つい、お願いしてみました。
アハハハ
冷や汗もんです。

今夜はもう遅いので
続きは明日ということで
すみません。
では〜

................

はるかは微笑みながら
メ−ルを眺めていた。
今夜帰ってなんて、メ−ルしようかしら..
そんなことを考えている、はるかは
何気なく目が覚めた、ケンイチが
おはようのメ−ルを打ち
数分後に届くことをまだ知らないでいた。

2002.6.27



no14


引き揚げ

昭和20年8月、満州の奉天にある会社に
勉は勤務していた。

軍需関連の会社であった為
まだ赤紙はきていなかった。

その頃、勉の妻清子は
社宅の井戸で近所の奥さんと話をしていた。
「大変なことになりましたね」
「なんでも、北のほうではソ連が攻めてきたそうですよ」
「不可侵条約があったはずでは...」

「満州には関東軍がいますからね
蹴散らしてくれますよ」

そんなことを話していたのだった。

清子はまだ知らないでいた。
数日後に勉に赤紙がくることを。

15日を境に逃げ惑う日々が来ることを。
ソ連兵から逃れる為に、天井裏に逃げることを。

関東軍はすでに、満州を出発していたことを。
一年にも及ぶ逃亡生活をすることを。

21年8月に引き揚げ船にやっと乗れることを。
21年6月に生まれる乳飲み子を抱え、出ないお乳を吸う
我が子を抱きながら船に乗ることを...

2002.6.26



No13

花びら

琴乃はいつものようにパソコンに向かい
メ−ルを打っていた。
70代を半ば過ぎてはいたが
近眼の為、眼鏡をはずしていれば
近くものを見ることは
不自由はしていなかった。
5年前に夫を病気で亡くして、一人暮らしだった。
幸い、近くに嫁いだ娘が何かと
世話をやきに来ていた。

.............
浩さん、その後お変わりありませんか。
満開の桜を眺めてから
3ヶ月になりましたね。
桜の花びらはもう散り始めで
貴方の肩にはらはらと散っていました。
本当は、肩に手をかけて
払いたいと思ったのですが
なぜか、ためらいました。
貴方も私の顔をあまり見ずに
遠くを眺め、話していましたね。
秋には、目の覚めるような紅葉の中で会うことができましたね。

私が女学校を卒業してから
何十年も会っていませんのに
私をすぐ捜して下さりありがとうございました。
こんな時になって
神様が会わせてくれるなんて
いたずらですよね..
貴方も奥様を亡くされたと聞いたときの驚き..

多くは語りませんでしたが
これからも少しばかり
季節便りをメ−ルさせて下さいね
庭には今、色とりどりの紫陽花が満開です。
優しき色を眺めると
なんだか、とても
優しい気持ちになれるから不思議ですよね。
少し肌寒かったり
暑かったり
どうか、お体ご自愛下さいね。
では、またね。

..................

幼馴染だった、浩との偶然の再会
そして聞いたお互いのメ−ルアドレス。
長男がコンピュ−タ−関連の職業についているために
何もかも設定して、渡してくれたパソコンだった。
そのうち、ワ−プロを少しばかり、かじっていた琴乃ではあったが
すぐにパソコンのとりこになっていた。

メ−ルを書き終えて眺めた庭に
一重咲きの白いゼラニュ−ムの花びらが
はらりと散っていった。

2002.6.25




no12

黒人兵 ジョ−

時はベトナム戦争の頃。
ジョ−は兵役義務期間の為
ベトナムに配属されていた。
果てしなく続く戦闘に誰もが疲れていた。
ゲリラ戦法で来る相手には
夜とはいわず気の休まる時もなかった。

先日、スパイらしいということで
一人の少年が捕まっていた。
繋がれ、よく見れば
まだ弟のトムと同じくらいの年代であった。

ジョ−はなぜ戦うのか
疲れていた。
白人警官に
窃盗の罪を誤解され
たたかれ、殴られ
半殺しのめにあったこともある。

その時に証人になってくれたのが
近くに住む
ベトナム人夫妻だった。

その夜
こっそりとベットを抜け出し
少年を放していた。
信じられないという目で見ていた
少年は、タムと言う言葉を残しジャングルに消えて行った。

タムと言う名前なのか
ジョ−はつぶやいた。

翌日、逃げた少年のことよりも
戦闘が再開され
皆、浮き足だっていた。
「ジョ−、Eゾ−ンのはずれで
共産軍と戦っているらしい、出かけるぞ」
相棒のウィリアムの声がした。

Eゾ−ンでは、タムが機関銃を持ち
戦っていることを
ジョ−はまだ知らなかった..

2002.6.24




No11

落し物

ひとみはいつもの美容院の帰りに
喉の乾きを覚え喫茶店へ入って行った。
街並みを歩き
木々の葉は一層色濃く
店先の花たちを眺め
いつもよりたくさん歩いた為だった。

隅には3人連れの仲良し奥さんらしい
人たちが楽しいおしゃべりをしていた。
あいにく隣の席しか空いていなかったので
座ることにした。

一人の奥さんの話しが
聞くとはなしに入ってきた。

小さい頃、父と一緒に車に乗っていて
ある病院の前を通った時
きれいな包装紙、リボンをかけられた
箱を拾ったわけ。
昔だし、今みたいに
ぶっそうでなかったから
届けなければと一応開けて見たのよ
そしたら
なんと、みかんの皮がどっさり入っていたの
ここで笑い声が響いた。

ひとみも思わず笑い顔となり
さらに続ける声を聞いていた。

でもね、父が言ったの
病院で退屈していて
作ったいたずら
笑わせてあげよぅって。
そういいながら父の怒った顔、今でも覚えているけどね。

そろそろ、乗る電車の時間がきていた
ひとみは
そっと立ち上がった。

2002.6.23



No10

鉄道のある風景

沙羅はため息をひとつ、ついていた。
どうしょうか。応募してみようか。

JR、 N日本が募集している
鉄道のある風景というエッセイ
原稿用紙1枚となっている。
もう一度読み返してみた。

..............
軽便鉄道の思い出

生まれ育った潮風の吹く町に走っていた懐かしい軽便鉄道。
中学校2年生の時に廃線になったこの鉄道は
30年の年月が流れてもいつも心の隅に残っている
二両で走り、座席はグリ−ン。
通学路には必ずこの軽便鉄道が見え
懐かしいあの音と共に、私の青春時代が甦ってくる。

小学校からの幼なじみの彼と部活の途中に聴いた
ゴトゴトという鉄道の音は
私の青春の思いも乗せて心に響いた。
廃止の日
二人で電車に乗り、いつまでも座席から立てなかった二人。

その後、私の引越し、転校で7年間も会えなかった二人が
廃線になった道路での偶然の再会。
そして
青春時代の思いを心に秘めた二人の結婚までの、道のりの遠かったこと..

あの軽便鉄道に乗った二人からもう30年。
泣いて笑った日々の暮らしの中にも

あの潮風に吹かれて乗った軽便鉄道の思い出が
溢れている。

2002.6.22




no9

雨上がり

昨晩の激しい雨が止んで
木々は潤い、花たちは活き活きと輝いていた。
登は独身ではあったが
母が花を好きだったせいもあり
小さい頃から
花を育てるのが好きだった。
今朝も出勤前に
庭の花たちを眺めていた。
小花をちりばめた
かすみ草や、忘れな草が特に好きだった。
どんな色の中にあっても
ひっそりと、そして自分の色を主張しない
白い花がとても好きだった。

ふと、思い出した。
職場でのお茶当番は今日は誰だろうか。
最近、特に気になっていた。
あの子の入れてくれるお茶は
美味しいと感じていた。

母が入れてくれたものと同じ
お湯のみを暖め
冷まさないように
最後まで一滴も残さない入れ方

いつも控えめな態度
それでいて
きちんとした言葉を持つ
あの子のことが気にかかっていた。

声をかけてみようか..

雨にうなだれた
サフィニァの花びらの上で
水滴がキラリと光った。

2002.6.21



No8

救急車

英子は朝早く、遠くで響く
救急車のサイレンで目が覚めた。
傍らのミミを見る
年老いて耳が遠くなっている為
まだ気づいていない。
2年前、餓死寸前のパグのミミを引き取った日が
思い出された。

山中に捨てられ保護された子だった。
知り合いの人の紹介で
やってきたミミ
おとなしく、疑うことを知らない瞳
ひとり暮らしの英子にとって
かけがえない家族となっていた。

去年、梅雨の晴れ間に
一緒の散歩で、通りを曲がった時
車に少し接触していた。
救急車の音を聞きながら
ミミも一緒にお願いします
叫んでいた、英子だった。
幸い、隊員の方が優しく
抱っこをして、一緒に乗せてくれていた。
その後、ミミは動物病院へ行ったのだった。

退院してからのミミはいつも
救急車の音におびえるようになっていた。

英子はそっと起き上がりミミを抱いていた。
ミミが震え出さないうちに...

2002.6.20




No7

手紙 U

徹さんへ

私がこちらへ来てもう3年になろうとしています。
貴方のお世話が出来ぬまま
あまりにも早くこちらへ来てしまって、ごめんなさいね。
人は、生まれた時に持って生まれた命の長さが
あるのならば
私、貴方と出会ったことが
一番の喜びでした。
郵便局に置き忘れた、お金入りの封筒
見つけた私は、郵便局へ届けて帰りました。
まさか、職場までお礼に来てくれるなんて
びっくりしました。
それからでしたね
貴方の優しさに引かれました..
お互い若くて
二人とも父がいなくて
ささやかな式を、二人だけの力で挙げましたね。

3年過ぎたら渡して欲しいと、この手紙を母に託しました。
どうか、ステキな人が見つかって
翔も賛成ならば、再婚して下さいね。
そして、たったひとつのお願い
聞いてもらえますか..
私の誕生日に、ほんの少しでいいのです。
思い出して頂けますか。
こちらでは、誰もそのまま年を取らないと
思われています。
でも、私
貴方がずっと、ずっと先にこちらへ来てくれた時
見つけて欲しいのです。
だから、私も年を取って
貴方に見つけて欲しいのです。
貴方の人生が
これからも輝いていますようにと
遠い空から願っています。

こちらへ来るのは
ずっと、ずっと後にして下さいね。
では、その時までね。

明子

2002.6.19




No6

手紙

徹は揺れる電車の中で考えていた。
妻を亡くして3年
一人息子の翔も素直に育ってくれた。
最近はサッカ−に夢中で
学校からの帰りも遅い。
まもなく翔の誕生日だった。
毎年届く、亡くなった妻からの手紙
翔へ宛てたもの。
消印はないので
夜の内にポストへ入れているらしい。
今年こそ、起きていよう..
一体誰が..

..............
徹の妻だった、明子の母は
新幹線に乗るための支度をしていた。
去年のように、徹のマンション近くのホテルへ
予約はしてあった。
明子との約束
あの子が二十歳になるまでの手紙
毎年、お願いね、届けてね。
もしも、あの人が再婚したのならば
届けずに、翔が二十歳になった時に
すべて渡してね
母さん、お願いね
私、母さんの子供で嬉しかったわ
ありがとう...

2002.6.18



no5

紫陽花

さやかは、さっきからずっと
花屋の店先で紫陽花を眺めていた。
ピンク色の小花をちりばめて
咲き誇っている紫陽花。
幼い日、母に聞いた
紫陽花色のこと
植えている土によって
花の色が違うんだよ。
私色に染まりたい。もう。

反対されるに決まっている。
奥さんを亡くして
小さい子供のいるあの人のこと。

私色のピンクに染まりたい。
水色の紫陽花ばかりを見てきた。
帰って母に言おう
私、結婚したい人がいますと。

「この鉢植えのピンクの紫陽花下さいね」
さやかは、決心したよう
お店の中へ入って行った
2002.6.17



No44

時刻表

ともかは、さっきから
飛行機の時刻表を握りしめていた。
知り合って、
この春、遠くへ転勤になった 彼のことが
気になっていた。 別れの日
「待っているからね。きっと、来てくれ」
年老いた母一人
行けない
逢いたい
募る思いが日々つらい
貰ってきた時刻表
1時間25分の距離
明日、行ってみよう
何かが変わるかもしれない
時刻表をまた、眺める、ともか
携帯電話の鳴る音
「待っているよ」
懐かしい声が 耳に広がった。
2002.6.16




No3

チョコレ−ト

さとみは今日も学校帰りに父のところへ寄っていた
ベットの上の父親は身動きも出来
目をつぶっていた
職場での事故で、右足の親指とそのまわり
削ぎ落とされていた。
もう入院も長く、皮膚移植も二度目だった
数日前から隣のベットへ同じ年くらいの男の子が入院していた
父親が見舞いにきては、いつもいるさとみに
お土産を持ってきていたのでした。
ハイ と渡された、黒い包みの板チョ
噛むことがもったいないような甘さが口いっぱいに広がった。
...................
時は流れ
お店で見かけた懐かしいチョコレ−トト
さとみは手にしていた。
憶えているだろう
あの日、食べた板チョコ

今日は聞いてみよう あの男の子に。 ただいまと帰ってくる人に

2002.6.15



no3

子犬

悟は、公園の片隅で子犬を抱きしめていた
B さっき、学校帰りについてきた真っ白い子
「 お腹がすいたのか、悟の手をペロペロとなめている
家へ帰った
捨ててきなさい
そう言われたことが悔しく
家を飛び出していた
あたりは、薄暗
ュ 心細
「 可愛いよな、お前、シロがいいかな名前
そういいながら
悟もお腹がすいていた。
昼間の疲れと、幼い悟にとって
睡魔が襲っていた。
ふと、気がつく
遠くに
母の呼ぶ声
飼ってもいいよ
帰ろうね

悟の目から涙がこぼれ落ちた


2002.6.14


No2

菜の花の子

めぐみが小学生6年生の時だった
学校から帰ると、母がいない
とうとう、その日は帰ってこなかった
家族の話しでは、腰が悪いから入院したという
次の日、学校帰りに病院へ行く
名前をいうと、お母さんはね、さっき帰りましたよ
看護婦さんの声に帰って見る
いつもと変らない母がいた

やがて、季節は流れて
めぐみも子供を持ち、ある日
実家で見つけた、水子の御位牌
あっ、心の中で声がはじけた

あの時は、もしかして..術後の経過が悪くて
帰れなかったのかもしれない.
聞けぬまま..無言で手を合わせた

あの日、学校帰りに咲き乱れていた、菜の花の
はかない命、生まれ出ることのなかったあの子

菜の花の中に、あの子を見た..
菜の花の黄色が目に焼き付いていた.


2002.6.14