Short Story

第1集(2002.6.14〜2002.7.31)
第2集、第3集(2002.8.1〜2002.9.30)
第 4集  (2002.10.2〜2002.10.31)
第5集 (2002.11.1〜2002.11.30)
第6集 (2002.12.1〜2002.12.16)
第7集 (2003.3.1 〜 2003.3.13)
第8集 (2003.3.18 〜 2003.7.4)
 第9集 (2003.7.20 〜 2003.9.13)

第10集 第11集 第12集 第13集 第14集 第15集

第16集
 


No262

紅い花




庭に、この花が咲くと思い出す

舞ちゃん
さようなら
もう会えないね

ゆきちゃん
どこへ行くの?

おばあちゃんのところ

ふ-ん
どうして?

おとうさんと、おかあさん
リコンしたんだって、、、

そうなんだ。。

ゆきちゃん
元気でね

うん

後ろも見ないで
駆けて行ったゆきちゅんだった

舞の家の庭に
鮮やかな赤い花が咲いていた

この花を見ると
ゆきちゃんを思い出す

2005.7.5




No261

雨の日





雨が降ったら
思い出します

一緒に傘をさして帰ったこと

心の中で
傘、忘れてくればよかった。。
そしたら、ひとつの傘の中だったかもしれない。。

若き日の思い出日記は
ペ−ジをめくる度に
ひとつ、ひとつがよみがえる

心の中だけに残る
雨の日は

思い出色の雨が降る

*******

沙智子には
本当は、雨の日の思い出は何もない
けれども
雨しずくをみれば
空想の世界に浸ることが出来る

人は夢をみることが出来るから
明日の明るい太陽が
また見えてくるのかもしれない

2005.7.4



No260


-お守り-

さっちゃん、これが最後の休暇だ
もう僕が許婚だったこと、忘れてくれないか

えっ そんなこと。。できないわ

僕には明日がない
未来がない
この身は、もう国に捧げている

わかっています

でも。。勝之さんを忘れることは出来ません

さっちゃん
僕がいなくなっても
僕はいつも
さっちゃんのお守りだよ
それだけは覚えていてくれ

さようなら。。

.................

桜の咲く頃の別れ
あれから暑い夏になり、幸子は毎日
長崎市内の工場へ学徒動員されていた。

あの日
朝、母から言われた

勝之さんのお母さんがね
暑さで寝込んだらしいのよ
畑で採れたトマトを持って行ってね
今日は、工場を休んでね

はい、わかりました。

あの日、長崎の空は晴れ渡り

福岡上空で雲に阻まれた、飛行機は長崎まで飛んだ。
そして、原子爆弾を投下した。。

さっちゃん
いつも僕は、お守りだよ。。。

勝之の声が聞えた気がした頃

一瞬の、きのこ雲が、長崎の空に広がった。。。

2005.6.17



No259

母さん、行きたくないんだよ
戦争に

母は忠志の言葉を思い出すと
いつも泣いていた

あんなに行きたくないと言っていたのに
帰っては来たけれど
もう抜け殻みたいになっていたよ
あの子
そのまま病気で逝ってしまってね

舞は聞いた話を思い出す

戦争の時だって
いろんな人がいたんだ
行きたくないと
思っていた

正直に生きていた

負けるとわかっていて
死んでいった若者たち

最後の桜は
どんなふうに目に映ったことでしょうか

若き命
惜しみなく散って
命の花が沈んでいく

舞は今
平和の有難さ
噛み締める

2005.6.15




No258

無宿者

「おい、起きろ」

橋の下で眠っていた
藤吉は、足で蹴られて起こされた

水飲百姓の次男であった
藤吉は
ふるさとを捨てて
江戸へ出奔していた。

つまりは無宿者であった。

この時代には
こうして
宿無しを捕まえては
何もしていなくても
捕らえられて
島流しされていた。

行き着くところは
佐渡だった

人出が足りないから
こうしてかき集められた
無宿者たちが
過酷な労働をしいられていた。

揺れる船の中で藤吉はつぶやいた
「妙、すまねぇなぁ
お前を置いてきたりした罰だ・・・」

2005.5.20



No257

別れ




おどさ、おっかさ
んだば
さいなら・・・

お千代
ゆるしてけれぇぇ
母は号泣した・・・

父は背中を向いて
肩を震わせていた

冷夏で米は取れずとも
年貢米の取り立てはきた

お千代を
遊郭に奉公に出すしかなかった

なあに
千代ぼうは器量がいいで
すぐに年季があけるべさ

源三は気休めを言った

************
一度、遊女になれば
運よく年季が明けたとしても
なにやかと、加算されたものが増えていて
簡単には抜けられないようになっていた。

過酷な割り当てで
病気になってしまう者が多かった

例え、年季があけても
行くところも、ひとりで暮らすすべもしらないまま
残るものが多かったことは
あまり知られていない

江戸時代に
初めて、女体の解剖に応じたのは
遊女上がりの人だった

年季があけて
小石川の療養所で
労亥の手厚い介護を受けたと伝え聞く

2005.5.18



No256

空襲

頭上を何列もの飛行機が通り過ぎて行く

はるか彼方の大分の街が燃えていた

昼のように空は明るくなり
何もかもが燃えていた

ここは大分から
かなりはずれの田舎町

それでもひとり息子を抱き
床の下へ潜った

声を出したらダメだよ

そうして
夫が帰る日を待ちわびいていた

昭和20年
終戦も間近い日のことだった


2005.5.9



No255

微笑み




ずっと、ずっと一人で生きて来ました
もうすぐ忠志さんの元へと行きますね

許婚だった、私を置いて
戦争という名のもとに
若い命を散らした
貴方のことが忘れられなくて
とうとう
一人でいました。

もうすぐ逢えるでしょうか

でも
貴方はあの頃のままでしょうか

そしたら、私がわからないですよね

どうしたらいいのでしょうね

そんなことを毎日思っています

遺影の貴方が

微笑んだ気がしました。

あの頃は、貴方によく笑わせてもらいましたね

そちらに行ったら
また笑いたいです

皺がいっぱいあるのに
また増えたらどうしましょう。。。

2005.5.3




No254

語り部




あの頃、自分の命をなくしてでも
という思いはどこから溢れていたものなのでしょうか

戦争中は
恋人や家族を守るためなら
自分の命なんて惜しくない
軍人は、みんなそう思っていました。
志願して軍隊に入った者はみんなそうでした。

知覧の飛行場には
女学生が
手を振って見送ってくれました。

彼女達を守らなければ
そんな思いでした。

出撃寸前で
終戦になりました。
終戦とわかってから
出撃して行った飛行機もありました。。

私は語り部として
伝えていくことが義務だと思っています。

2005.4.22



No253



輝男
今年はいつまでも桜が咲いているよ



風が吹いてもこの一輪
輝男がいてくれるようだよ

もう何度も、何度も
この桜の木の下で会えたね

もう少しで、母さんもそちらへ行くから
ゆっくり会えるね

おばあちゃんだけれど
わかってくれるかい

お前は小さい頃から
ガキ大将でね
子分引き連れて遊んでいたね

最後の桜を見にきたよ

この一輪は
輝男だね

風が優しいよ。。。

2005.4.21



No252

別れ




父さん、母さん
いよいよ、僕の魂は
靖国神社へ行くこととなりました。

明日、出陣いたします

この命は、父さん、母さんから
戴いたものではありますが
お国の為に捧げるものです

お先に参ります

どうか、お体を大切にされ
いつまでもお元気でいて下さい

美代子、勝志

どうか、父さん、母さんのことを頼む

桜を一枝
艦に持っていくつもりでおります

毎年桜が咲いたら
僕が帰ったと思って下さい

心、静であります

行って参ります

輝男

2005.4.11



No251

最後の桜





ふるさとの桜を見ることはもうないな。。

悟はつぶやいた

もう、負けるとわかっている
それでも行かなければ。。。

田舎に残した、和子のことを思った

公園に咲いた桜をふたりで眺めたこと

和子の笑顔が、春の日差しに輝いて
まぶしくて、目をそらしたこと

明日の日本をもう見ることは出来ない

それでも
いつかきっと、平和な時が来て
この桜を見る、家族があるだろう

明日、飛び立つ特攻機には
片道だけの燃料しか入っていない

それでも、俺は行く

かずちゃん、幸せにな・・・

2005.4.3